Profileプロフィール

好きな時に、好きな場所で、
好きなシゴトをする個人を創る。

著書「鈴木さんの成功~会社員から起業した時に待ち受ける真実の話をしよう~」は紀伊國屋書店全国ビジネス書ランキング1位。ブックファーストビジネス書ランキング1位、Amazonジャンル別ランキング1位を獲得し、日本の個人起業家のバイブルとなっている。
会社員から起業後、わずか4年の間に、起業家、起業志望者が、勉強会、講演会に4,000名が参加し、個別にプロデュースをした起業家の数は623名。
個人起業家の中で一定の成功を獲得している指標のひとつである月商7桁を、0の状態から起業して6ヶ月以内に到達させる成功確率は日本No.1の91.3%。主宰する起業塾の入塾倍率は82.1倍の人気を誇る。
プロデュース事例としては、

  • マンションの1室でしていた月の売上が7万円だった料理教室が月商368万円となり、日本大手の結婚相談所と提携する。

  • 9年間銀行員をしていた女性が自宅マンションでサロンを始めて0の状態から4ヶ月で月商135万円となる。

  • 3人の子供を育てる普通の主婦が1日で8万PVを集める人気起業家となり月商800万円になる。

  • 26歳の法律事務所の秘書をしていた女性が自身でやっていた投資を教えるスクールを立ち上げ4ヶ月後に月商1,000万円を超える。

など数え切れないほどの成功事例を生み出している。
海外の賢人との共演もし、2015年には日本で開催されたロバート・キヨサキのメンターである世界的不動産投資家の権威ロバート・アレン氏の1,000人特別講演会に日本を代表する起業家の1人としてゲスト登壇。
同年、世界No.1コーチのアンソニーロビンズ氏の右腕とも言われる世界的影響力のある権威テッド・マクグラフ氏の1,000人講演会にもゲストとして登壇した。
また、2016年は日本国内に留まらず、海外在住の日本人への講演活動をスタートし、オーストラリアのメルボルン、シドニー双方で100人講演会を満員で開催。
シドニーの開催は紀伊國屋シドニー店の全面バックアップのもと開催された。2016年10月にはニューヨークで120人の講演会を開催。講演会はニューヨークの地元紙で取り上げられた。
大手損害保険会社に入社後、東日本大震災を岩手県で被災。ライフラインを断たれた状況に追い込まれて、生死を問われる環境を経験。被災したことで、「本当に人はいつ死ぬのかわからない」ということを実感し、「いつ死ぬのかわからないのなら、もう自分の人生の時間は好きなことにしか費やさない」と決意し同社を退社。
会社員を辞めたのちに10ヶ月間の無収入時代を乗り越え、今に至る。
2016年9月に「個人起業家を育てるということはやりきった。後進に譲る」とコンサルティングのオファー依頼を多数受けながらもコンサルティング業から引退。
今、最も日本で個人で起業する人たちが話を聞きたくても聞けない起業家の1人である。

1ヶ月1旅 自由な人生を楽しむ!

好きな時に、好きな場所で、好きなシゴトをする個人を創る。
ということをビジネスコンセプトにしており、自分自身も毎月沖縄県宮古島にダイビングに行き、そしてコンサルティングをしている起業家も、1ヶ月1旅をライフスタイルにするなど、個人でビジネスの成功を収めることだけを目的にするのではなく、人生を楽しめる起業家を輩出している。

Storyストーリー

普通の会社員から、日本No.1個人起業家プロデューサーになるまでのリアル

自分の人生の時間は楽しいことにしか費やさない。
そう決めた、東日本大震災のあの日。

2011年、10月17日。私は会社員のまま生きるということを止めました。
きっかけは、その年の3月11日に起きた東日本大震災。その時、私は大手損害保険会社の営業として岩手支店に配属され、岩手県で営業活動をしていました。

中学生の頃から「社長になりたい!」「起業したい!」と思っていたけど、気がつけば大学を卒業して大企業に就職。会社の待遇も良く、仕事もやりがいがあって、結局はこのままサラリーマンで人生終わるのかな・・・、と思っていた30歳を目の前にした出来事でした。

震災の時に私がいた場所は幸いにも海からは遠い内陸の場所だったので、津波の被害に遭うことはありませんでしたが、それでも地震の揺れは未経験の震度7。
地面が割れ、電信柱は倒れ、電気・水道・ガスと言ったライフラインも止まりました。 ライフラインがない生活を送り、いかに当たり前の毎日が恵まれていたのかを実感しました。

数日後にライフラインが復活。

しかしながら、これでひと安心というわけではありませんでした。
私が当時勤めていたのは損害保険会社。地震保険を取り扱うのが損害保険会社です。
ライフラインが復活したその翌日から、津波の被害を受けた岩手県の沿岸エリアに人命救助と災害調査のために突入しました。

震災からわずか5日後。
信じられない場所に、車や、船があり、街並みは跡形もなく壊滅状態の街。
私が沿岸エリアに突入した時は、自衛隊の方々が瓦礫の下から下敷きになっている人を救助している真っ最中でした。

「人はいつ死ぬのかわからない。」
初めて生きて「死」というものを身を以て感じた瞬間でした。
自分の命も「有限」であるということを肌を以て感じた瞬間でした。

そして、その時に私はいつ死ぬのかわからないのなら、

「もう自分の人生は自分が楽しいと思うこと以外には使わない!」
そう心に決めたのでした。
2ヶ月後。
救助活動や災害活動が進み、会社としての災害対応の態勢が整った、5月。
私は東京の本社に異動することになりました。

普通の会社員から、日本No.1個人起業家プロデューサーになるまでのリアル

クライアントさんはどうやって獲得することができるのですか?

東京に転勤して本社勤務となっても、どうしても頭をよぎるあの時の感情。
「いつ死ぬのかわからないのだから、
自分の人生の時間は自分が楽しいと思うことにしか使わない。」という決意。
「このまま会社員をしていていいのだろうか?」
その思いは日に日に強くなり、2011年10月17日に、
「もう自分が楽しいと思うこと以外に自分の人生の時間は使わない」
そう決めて会社員を辞めました。

10ヶ月続いた無収入の暗黒時代、自分の好きなこと・・・。
ということを考えた時に、当時の私は学生時代に9年間していた「野球」が思い浮かびました。
そこから、何かスポーツに関わる仕事をしたい。
そう考え色々探してたどり着いたのが、アスリートのメンタルトーレニングをする「メンタルトレーナー」という仕事でした。
会社員をやめる2ヶ月前から
メンタルトレーナー養成スクールに通い始めていました。
スクールに通うことで、メンタルトレーニングの技術がどんどん身についていきました。
メンタルトレーニングの技術が身につくことで、次第に私の興味は
「どうやってクライアントを獲得できるのだろうか?」という方に強く向いてきました。

当時はもう会社員を辞めていたので、ただ単純にメンタルトレーニングの技術を学びたいだけではなく、メンタルトレーナーとして生活していける収入を得たい。
「だから、クライアントさんの獲得の仕方も教えて欲しい。」そう思うようになりました。

しかしながら、当時通っていたスクールでは、プロのメンタルトレーナーになれる、好きなことを仕事にできる!という触れ込みだったのですが、

「どうやってクライアントさんを獲得することができるのですか?」と質問しても、
「とにかく無料で何人にも体験セッションをやり続けていれば、いつか有料で継続してやりたい!と言ってくれる人が現れるよ!」
と精神論のような回答。

私が知りたかったのは、まずこれをして、次にはこれをする。その後にこれをして・・・
この順番でやればお客様が獲得できる!
というような「お客様を獲得するためのレシピ」が欲しかったのです。

普通の会社員から、日本No.1個人起業家プロデューサーになるまでのリアル

誰も持っていなかった、個人がビジネスを持てば
自由に生きる事が出来る成功するためのレシピ

ここに居たらお客様は獲得できない。

そう感じた私は、この時から色々なセミナーを渡り歩き始めるようになりました。
そして、9ヶ月にも及ぶ無収入期間の暗黒時代に突入したのです。
どうやったらクライアントを獲得できるようになれるのか?
何をしたら個人で活動して生きていけるくらいの収入を得られるようになるのだろう?

その一心で、実に様々なセミナーに行きました。
ブログや、Facebookなどのセミナーにも行きました。
メンタルトレーニングだけではメニューが少ないかな・・・と思い、
コーチングやNLP、心理カウンセリング等々を学び、資格やディプロマも獲得しました。
しかし、一向にクライアントは獲得することができず、
増えていくのはノウハウと資格ばかり・・・

次第に貯めていたお金も減っていき、気がつけばあと1ヶ月半もしたら、
生活できなくなる状況まで追い込まれていました。
そんな時に、初めて「メンター」と呼ばれる存在の人に出会いました。
そのメンターとの出会いにより、個人で活動する起業家の方々に
ビジネスを教えるという道に導いてもらいました。

2012年4月。
この最初のメンターとの出会いにより、現在の個人起業家のプロデュースをする「USPクリエイター」としての活動を始めたのです。

そして、ガイド役であるメンターの導きで、
お客様が全くいない、ブログのアカウントさえもっていなかった状態から、
1ヶ月目、お客様がいなかった私にも問い合わせが来るようになりました。
2ヶ月目、ほんの少し、収入を得られるようになりました。
3ヶ月目、大きな変化が生まれ、問い合わせが月に30件以上来るようになりました。
4ヶ月目、ついに月商316万になったのです。

正しいレシピを獲得すれば、正しい結果が出る!

こうして0の状態からお客様を獲得できるようになるためのレシピを手に入れた私は、その手順を教える起業塾「The Class –S」(現在のチームコンサルティング)を2012年8月にスタートしました。

普通の会社員から、日本No.1個人起業家プロデューサーになるまでのリアル

0から月商7桁まで引き上げる成功確率
日本No.1となり、世界の権威との共演。

そこから何人ものメンターとの出会いを経験し、起業塾やコンサルティングの手法をアップデートすることにより、この4年で講演会、セミナーには3500名以上の起業家の方に参加していただき、直接教えた門下生は576名にまでなりました。(2016年1月現在)
門下生達は実に様々な成果を上げてくれています。
・月商7万円の料理教室から半年で月商100万円を突破
・OL退職後、コーチングで独立して3ヶ月で月商100万円を突破し、
1年後には月商800万円に。
・9年間勤めた外資系銀行を退職して4ヶ月後に月商135万円に。などなど。

2015年には、6ヶ月間私のところで学んだ人の77.7%が0から月商7桁を超えました。
この異常に高い成功確率が評価され、2015年9月には『金持ち父さん 貧乏父さん』の
著者、ロバート・キヨサキ氏のメンターであるロバート・アレン氏の1200人セミナーに
日本の起業家5人の1人としてゲスト登壇。
さらには、2015年12月にはあのアンソニーロビンズの右腕とも言われている「影響力」の世界的権威テッドマクグラフ氏の緊急来日1000人セミナーでもゲスト講師として招待していただきました。

そして、今でも、自分自身の月商も8桁を超え、0から月商7桁まで引き上げる成功確率日本No.1と称号を得て、個人で活動する起業家を引き続きプロデュース、コンサルティングをしています。

数年前は、私も普通の会社員でした。
でも、そんな何もなかった私だったからこそ、結果を残すためには「何をどの順番でしたらいいのか?」というレシピを教えるということにこだわり続けてきました。
そして、私が起業した時の大きな決意。
「自分の人生の時間は楽しいと思うこと以外には使わない!」
だから、私はただ売上だけがあがればいい、ただ収入だけがあがればいいとは
思っていません。「自由で楽しい人生を歩んで欲しい!」そう思っています。

だから、私のビジネスコンセプトはこの言葉に集約されています。
「好きな時に、好きな場所で、好きなシゴトをする個人を創る」
毎日が楽しいですか?—という問いに、迷うことなく「はい!」と言える、経済的な自由と時間の自由を手にした個人を誰よりも創り出す。

人生はいつ終わるかわからない。
だから、自分の人生は本当に楽しい!そんな人たちを生み出すために、USPクリエイター として活動をし続けています。